笹部 雄作
はじめに
植物病の診断において、樹木の診断は作物や花きとは際立った違いがある。樹木は寿命が長いため、長年にわたって生育してきた経緯について慎重に読み解いたうえで診断を行う必要がある。
樹木の診断
樹木は非常に長命な植物である。それゆえ、病虫害や天候の影響、土壌条件、環境などから来る数々のストレスを長年乗り越えながら生きている。一見問題なく生育しているように見える樹木でも、その幹の断面には外部からは気づかないような苦難の歴史が刻まれていることも少なくない。例えば、図Aは外部からは特に何も問題が無いように見えたシダレヤナギであるが、その内部が腐り、大きな穴が空いている様子である。図Bのアラカシも藪の中で成長した一見して特に問題は無いように見える木であった。しかしその内部には、強風によって生じた亀裂やキクイムシによる穴など、過去の様々なストレスの歴史が刻まれている。まして衰弱している樹木であれば、外側から見てわかる葉の枯れや落葉、枯れ枝の発生などに加え、見えない内部や地中に主な原因が隠れていることも少なくない。このように、一見して何も問題が無いように見える木でも、その内部では深刻な病虫害が静かに進行している場合がある。そのため、街路樹や公園樹の危険度診断などでは、細い針を樹木に貫入させるレジストグラフ(1)や、電磁波や音波を利用した非破壊的な手法により腐朽や空洞の有無を調べる必要がある。
往々にして樹木の背は高く、根は地中に深く広く存在している。このような生態の樹木には、平時より様々な虫や病原菌が近寄り、数々の傷や傷痕に分解者のキノコ類がとりつこうとしている状況にある。樹木の衰弱した原因を探す際に、適当な葉を選び、顕微鏡で病原菌の菌糸を見つけること自体は難しいことではない。しかし、それが真に対象の樹木を弱らせている主たる原因であるのかと問われれば、大変疑わしくなるのだ。樹木が過去の報告にないような症状を示した時、数々の疑いが診断の途中で浮かび上がり、それらはどんどん否定されていく。このように樹木の診断は一筋縄ではいかないのである。本稿では、下記にその一例を紹介する。
実際の診断事例:クスノキで落葉を誘発した原因とは
クスノキは病虫害が出にくい樹種として知られていたが、2015年頃に「通常の落葉と異なる時期に妙にクスノキの葉が落ちる」という噂が流れた。緑化関係者の間では、原因として降雨量や気温などが取りざたされたが、実際に発病したクスノキを確認すると葉にまだら状の変色が出ており、著しく落葉していた(図C)。顕微鏡で観察してみたところ、ビロード病(図D)を引き起こす害虫の一種「フシダニ」や、枝枯れ(図E)を引き起こすことで知られるクスクダアザミウマの幼虫(図F)なども見つかったが、発病したクスノキの症状はそのいずれとも異なっていた。やがて、この異常な落葉を誘発する原因は、海外から侵入した害虫の一種であるクスベニヒラタカスミカメ(2)によるものと判明した。虫体は非常に小さく、大発生するわけでも無いため、緑化関係者もあまり見たことがなかったことが犯人特定を難しくしたのである。
このクスノキの異常な落葉への対処方法として、当然クスベニヒラタカスミカメの駆除が必要だと思われたが、その数年後に奇妙な現象が起こった。この虫に葉を吸われたクスノキは最初の年と次の年は大量に葉を落とすものの、それ以降は目に見えて葉が落ちる量が減ったのである。この状況を受けてさらに対処方法は変化する事となった。被害の出始めは駆除を、しかし複数年を経ると、特に駆除の懸念も減っていくという状況になったのである。
おわりに
樹木の植物病診断を行う際に、生理・解剖・土壌・環境といった視点から樹木全体を大きく見渡せる目と、顕微鏡や遺伝子を扱うような極小の視点の双方を併せ持つことが重要なのは農作物と全く同じである。それに加えて、樹木が物理的に大きいという状況がさらに診断を難しくさせている。簡単な診断方法など存在せず、診断と処置の引き出しを日々増やし、広く樹木を取り巻く状況を見渡せる目を養っていかなければならないのである。